2012年8月31日金曜日

アメリカの助産

7月から最近まで、助産師学生向けテキスト改訂版のために「アメリカの周産期医療」についての小さな項を書いていました。アメリカの周産期ケアのシステムについて、留学中も体系的に学んだわけではなかったので、最新情報を色々調べて勉強になりました。

例えば助産師の制度については、現代の日本の助産システムは、敗戦後にGHQが改革をして以来、アメリカの影響を強く受けているのですが、その時期はちょうどアメリカで助産師の状況が最悪だったことはよく知られています。でもそんな中でも、現在主流の助産師制度につながる草分けが始まっていたり、もっと面白いことに、その結果、現在主流の助産師制度(認定看護助産師・CNM)だけでなく、それと競合するような助産師制度(認定専門助産師・CPM)も発達し、現在もお互いに刺激になり発達を続けていること、さらに無資格助産師も違法ではない州もあることなど、多様性や法律化がもたらすものについて、日本と比べて色々考える機会になりました。

また、「ママの声」では日本人女性とアメリカ人女性の周産期の体験を、個人レベルで比較していますが、今回は社会レベルの日米比較の知識を更新する良い機会になりました。

大事な赤ちゃんの健康のため、と言われれば、「念のため」に検査も処置もいろいろしてほしくなるのは母親の当然の心理かもしれません。日本の「ママの声」調査でも、「ぜひしてほしい」「なるべくしてほしい」を合わせると47.1%、「どちらでもない」が34%で、「なるべくしてほしくない」は17%、「絶対にしてほしくない」は1.9%でした。<リンク

でもアメリカ産婦人科学会やアメリカ助産師協会の最近の調査でも、「念のため」と勧める動機が、(ママと赤ちゃんのためというよりも)、「医療者が何かあって訴えられないために『念のため』」であることも多いのです。これはdefensive medicine(防衛的医療)といわれる問題で、訴訟の多いアメリカで問題になっています。
(日本でも、医療従事者が「訴えられたらどうしよう」という恐れをまったくもたずに働くのって簡単ではないのではと思います。)

エビデンスに基づく医療を推進するCochrane Library(コクランライブラリー)を設立したイギリスのArchie Cochrane氏が「産科学は最も科学的でない分野」と言ったことは有名です。周産期の医療介入の多くは、エビデンスに基づいておこなっているというよりも、ritual(儀式的)やhabitual(習慣的)におこなっているものも多く、必ず良い結果がもたらされるわけではありません。

また、検査や処置、投薬をすればするほどお金が儲かり、自然の力を信じて何もしないほどビジネスにならない、という現代医療の傾向があります。

その結果、「介入すればするほど、結果は悪くなる(doing more, accomplishing less)」という周産期パラドックスを抱えているアメリカの例から学ぶことはたくさんあると思います。産科における「念のため」の医療介入(検査、処置、投薬など)のあり方について考えさせられます。

日本とアメリカを比べると、日本は全体的に、過剰な医療介入も少なく、医療費も少なめで、新生児・妊産婦の死亡率もずっと少ない、という、「介入しなければしないほど、結果が良くなるdoing less, accomplishing more」という良いパラドックスをなぜか達成してきました。不景気とはいえ世界的に見れば全体的に裕福で、設備・技術も異常に整っている日本なので、過剰な医療に傾くのはごくたやすいのに、不思議なことです。
これは社会の人々(専門職も含めて)が「できれば自然が一番」という価値観(神道?)をもっていることも一因なのかなと思います。お産の苦しみの中にポジティブな意味を見いだそうとする価値観(仏教?)もあるかもしれません。
一方、万が一のミスも許せない完璧主義、「皆がやることは大丈夫」という集団心理など、日本の文化は独特の危うさも抱えていると思います。